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2016年1月9日土曜日

安倍政権が国際社会から隠したがった“報道への圧力“全事件簿(その2)

安倍政権が国際社会から隠したがった“報道への圧力“全事件簿・1/

 
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 つまり、今回の降板騒動は、安倍政権に批判的な『NEWS23』と岸井氏を潰すために、安倍別働隊が仕掛けた謀略だったのだ。
 
 そもそも、安倍官邸とそのシンパたちは自分たちへの批判報道を「放送法」違反と攻撃するが、これは逆だろう。
 放送法は、"公権力が「放送の不偏不党」「表現の自由の確保」を保障する"(第1条)、「放送は何人からも干渉されない、規律されない」(第3条)と定めている。第4条の"政治的公平"も公権力から独立した報道を保障するための業者の倫理規定にすぎない。
 
 むしろ、公権力と市民が保持している情報の量や質の差を考えると、報道機関が、政権が流す情報を徹底して検証・批判してはじめて、政治的公平が保たれるのだ。 
 
 そういう意味では、安倍政権の言い分をそのまま垂れ流した番組こそ、国民の「知る権利」を阻害しているのである。
 
 たとえば、読売テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』だ。最近も、番組に定期出演していたジャーナリスト・青木理氏が、政治的にリベラルなスタンスと安倍政権批判が原因で首を切られたことを本サイトで伝えたが、安保法制の国会審議中に安倍首相が生出演した9月4日放送でも、コメンテーターの日本テレビ報道局解説委員・青山和弘氏がこんなトンデモ発言を口にした。

   「たとえばこのあと、この法案が廃案にされては困りますので、うまくこう、巻き込んでいく。その努力の姿を見ていく必要がありますよね」
 
   問題点はひとつも挙げず、平気で"安倍目線"で政権の広報のような解説を垂れ流す。ここに国民の知る権利を守るための"権力の監視"は存在しない。ようするに、「公平中立」を名目にして批判報道を潰し、マスコミを翼賛報道だらけに仕立て上げていく、それが安倍政権のやり口なのだ。
 そういう意味では、放送法違反は安倍政権のほうなのである。

■安倍チルドレンが「マスコミを懲らしめる」発言、しかも批判されると『朝生』トンズラ! 
     「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」
「不買運動をするよう働きかけるべき」
「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」
「言論の自由」や「報道の自由」を真っ向から否定するこんなトンデモ発言が飛び出たのは、昨年6月、自民党の若手議員勉強会でのこと。
 
 スポンサーという"急所"を経由して圧力をかけ、政権批判を封じるという、卑劣な発想。しかもこの会に、安倍チルドレンたちがゲストとして呼んだ百田尚樹氏にいたっては、「本当に沖縄の2紙はつぶさなあかん」と、琉球新報と沖縄タイムスを攻撃。堂々と言論弾圧を宣言したのだ。
 こうした発言はさすがに国民の間から強い反発の声が上がったが、唖然とさせられたのは、その世論の批判に対する自民党の対応の仕方だった。
 
 例の自民党勉強会での発言が報じられてから2日後の26 日、『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)の収録があった。この日の放送では、安保法制を中心テーマに与野党の若手議員が討論する予定だった。だがなんと、自民・公明の議員は全員欠席。
 しかも、安保審議で形勢不利の自民党は、本部が直々に議員に出演禁止を命令していたという。さらに、25日の夕方になって『朝生』側が一人だけ確保したという自民党議員も、放送数時間前になってドタキャン......。
 いつもは「政府与党側の意見も取り上げろ!」とがなっておきながら、劣勢になるとトンズラ。これは、安倍政権がいう「偏向」「公正中立ではない」というのが完全にペテンであることの証左。国民の「知る権利」など、安倍政権の頭のなかには存在しないのである。

週刊誌への訴訟圧力と"根回し"で金正日なみの情報統制が進行中! 安倍死亡の報が禁忌になる日も近い!?
 安倍政権の圧力は週刊誌メディアにも及んでいる。昨年夏から秋には、各週刊誌が相次いで安倍首相の"健康問題"を記事にしたが、安倍首相は、そこで法的措置をチラつかせ、記事の撤回を求めた。言っておくが、総理大臣は一国の行政の長である。取材や関係者の証言を通じ、健康状態を報じることは、国民の関心が極めて高く、また公共の利益という観点からも、制限されていいわけがない。
 
 もっと陰湿な手も使っている。昨年7月、「週刊ポスト」(小学館)編集長の三井直也氏が就任わずか1年で更迭、代わりに前編集長の飯田昌宏氏が返り咲くという前代未聞の人事があったが、その原因は、高市早苗総務相の秘書官をつとめる実弟が関与したとされる「高市後援会企業の不透明融資」問題や、菅義偉官房長官が代表をしていた自民党神奈川県連への「3000万円迂回献金疑惑」など、三井体制の「ポスト」が毎号のように政権スキャンダルを特集していたことだった。
 
 官邸は高市氏の実弟に「ポスト」の三井編集長、発行人や担当編集者、ライターらを民事、刑事両方で告訴させるという強圧的手段に出る一方で、小学館上層部を揺さぶり。「編集長更迭は、官邸と小学館の間で、何らかの裏取引があったのではないか」ともいわれている。
 本来、週刊誌ジャーナリズムは、新聞やテレビメディアが及び腰になるグレーゾーンへ果敢に切り込むことがその役割のひとつであるはず。しかし、週刊誌業界全体の不況化で、訴訟圧力に一層弱くなっているのが現実だ。そうした状況を見越しての圧力......。安倍政権は、ありとあらゆる批判を封じ込めようとしている。

■安倍批判の海外メディア特派員に外務省が「反日」攻撃!                         世界中に恥を発信し続ける安倍政権!
 安倍政権の報道圧力は海外にまで波及している。昨年4月、ドイツの保守系高級新聞紙「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」(FAZ)の記者、カーステン・ゲーミス氏が、日本外国特派員協会のウェブサイト上で行った告白は、まさに衝撃的なものだった。
「私が離れようとしているこの国は、2010年の1月に私が到着した国とは別のそれになっている。表面上は同じように見えるけれども、日本社会の雰囲気──それは最後の1年間の私の記事に一層反映されているのだが──は、ゆっくりと、しかし著しく変化していっている」
 
 ゲーミス記者によれば、民主党政権下で受け入れられてきた海外ジャーナリストと当局の議論が、安倍政権が誕生した頃から風向きが180度変わったという。
「実際、海外特派員から官僚へ聞きたいことは長いリストになった。エネルギー政策、アベノミクスのリスク、憲法改正、若者世代のための機会、地方の過疎化。だが政府を代表して海外メディアに快く話してくれる人は、ほとんどゼロだった。そのうえ、その安倍首相が勇ましく叫ぶ新構想を批判するものは誰でもあっても、"反日"などと言われた」
 
 そして、ゲーミス記者が安倍政権の歴史修正主義を批判する記事を書くと、政府は、外務省を通じて「中国の反日プロパガンダに利用されている」というデマ攻撃で、圧力をかけてきたのだ。総領事に記事の誤っている点の説明を求めるも無視され、外交官は「金が絡んでいると疑わざるをえない」とすら言いはなったという。ゲーミス氏はこう記している。
「外交官は、中国のプロパガンダ記事を書かねばならないのは中国へのビザ申請を認めてもらうためではないのかと解釈していた。
 
 私が? 北京へ行くために金で雇われたスパイだって? 私は中国へ行ったこともなければ、ビザの申請すらしたこともない」
 他にもゲーミス氏は、政府が海外特派員と会食し懐柔する作戦に出ていることも告発している。国内のみならず、海外メディアや記者にまで圧力をかけ、しかもネット右翼なみの陰謀論をまくしたてる......。なんという恥知らずだろうか。
 
 仮に、この国の評価を下げるような行為をすることを「反日」「売国」と呼ぶのならば、まさに安倍政権こそが「反日」「売国」であるとしか言いようがない。
 
安倍政権で"表現の自由後進国"に......すでに骨抜きの表現の自由が、憲法改正で崩壊する!
 このように2015年に起きた安倍政権の"報道圧力事件簿"を簡単に振り返ってみても、今、この国をめぐる言論・報道の自由はどんどん制限されて、情報統制化が進行していっていることがわかるだろう。
 
 そうした状況のなか起こったのが、冒頭にあげた安倍政権による"国連調査拒否"だったのだ。自分たちに都合の悪い報道は握りつぶし、ジャーナリストや言論人を血祭りにあげ、メディア上層部を懐柔することで翼賛報道機関に仕立て上げる......。繰り返すが、こうした安倍政権の所業が表現の自由への意識が高い欧米で広まれば、日本の国際的信頼は地に堕ちる。しかも、安倍政権の戦前回帰的傾向を考えれば、海外からの批判ですら、「レッテル貼りだ」「日本を貶める」などとわめき、暴走しかねない。
 
 そして、今年2016年。夏の参院選の後には、安倍首相はついに憲法改正に踏み切ると言われている。言うまでもなく、国民投票で反対が上回れば安倍は退陣せざるを得ない。ゆえに、いままで以上のメディアコントロール、報道圧力を強め、情報を統制、世論を誘導しにかかるだろう。
 
 日本国憲法第21条にはこうある。〈集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する〉。昨年の安保法制も明確に憲法違反だったが、安倍政権はすでに、この第21条をも空文化させていると言えるだろう。しかも、自民党改憲案では緊急事態条項の新設により、第21条も制限する見込みだ。
 
かつて言論の自由を公権力に奪われたこの国が進んだ道を、いま再びたどってよいのか。2016年は、その分水嶺となるだろう。
                                                   (以上)
※「大本営(だいほんえい)」・日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
1893年(明治26)5月22日公布の戦時大本営条例で設置された天皇直属の最高戦争指導機関。初め参謀総長が幕僚長となり陸海軍の作戦を指導する点で、陸軍優位の形態となっており、広島に大本営を置いた日清(にっしん)戦争はこの条例下で指導された。1903年(明治36)12月28日、同条例は改正されて参謀総長と軍令部長がともに幕僚長となり、陸・海軍対等の形態がとられ、日露戦争はこの形の大本営(宮中に設置)において作戦指導がなされた。日中全面戦争(政府は「支那(しな)事変」と呼称)の勃発(ぼっぱつ)に伴い、1937年(昭和12)11月18日、戦時大本営条例を廃止し、軍令により大本営令を制定した。従来、大本営は戦時にしか置くことができなかったが、それを修正して、事変の際にもその設置を可能にするためであった。同月20日大本営が宮中に設置され、太平洋戦争終末に至るまで存続したが、参謀本部が大本営陸軍部、軍令部が大本営海軍部となっただけで、分立する陸・海軍間を調整する機関たるにとどまった。大本営設置に伴い大本営政府連絡会議が設けられたが、政戦両略の十分な統合は果たせなかった。しかし大本営設置は、国民の戦争気分高揚に一役果たした。[粟屋憲太郎]
『松下芳男著『明治軍政史論 下』(1956・有斐閣)▽『現代史資料37 大本営』(1967・みすず書房)』

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