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2016年1月18日月曜日

阪神大震災:犠牲者しのぶ「生」復興を願う「未来」の字 、21年目を迎えて!

阪神大震災:犠牲者しのぶ「生」 、復興を願い「未来」の字、21年目を迎えて!

 2016年1月17日は1995年1月17日の「阪神大震災」から21年目、21年前のこの17日は「わたし」にとって忘れようにも忘れられない日の早朝だった。というのも、この年がわたしにとって定年を迎える年に当たっていたからで、いつものように朝早く起き出して、大阪まで通勤すべく「朝食」を摂ろうとしていたとき、激震が走った。午前5時46分マグニチュード7.3,最大震度7と当時最大と云われた。
 いつものようにバス停に向かったが、待てど暮らせどバスは来ない。何の知らせもない。しばらく待っていたがバスは一向に来る気配もない。家に帰って連絡しようにも電話が通じない。TVを視ても何が起こったのかよくわからない。

 そのうちに阪神方面が大変な災害に見舞われたという情報が飛び込んできた。会社とはようやく電話が繋がったが、阪神方面も交通の便が悪くて出勤してきた社員もごく僅かということ!
”羽があるなら飛んででも行きたい”ところだが、行こうに行けないもどかしさ!そんなことで2.3日通勤不能、電鉄会社も大地震でレールや設備に損傷がないかを調べるのに時間を要するとのこと。
 
 会社に出社できるようになって阪神方面のお得意先の被災状況調査とお見舞い伺いがまずの仕事。年始の挨拶回りからわずか10日あまり後に、こういう大惨事が発生したとは!
 神戸方面を訪ね回って驚いた。高速道路が数珠つなぎに傾き倒れている。ビルが倒壊しているのもやたら目につく。この大惨事をどうして復興させるのか?個人でこのような惨事に見舞われたら、精神的に打ちひしがれて体が動けないだろうに!時間的に自宅で、まだ寝ている時刻に被災して倒壊した建物に挟まれて身動きできない状況で、火災の火が襲ってきたらどうなるのだろうか?生きたままで焼け死ぬなんて、まさに”この世には神も仏もないものか?”と、強烈な思いを強くしたこの日であった。

 わたしの家は神戸に親戚筋が数軒あり、個人的にはそちらも心配しなければ!そのうちの一軒の関学大の教授をされているY家は半壊で止まり、生命は取り留めたが、先生は長年研究してきた貴重な資料が土砂に埋もれ、それを掘り起こし取り出すのに過労になり、急死を遂げる不幸ごとが発生、葬儀を営もうにも阪神地区では不能とのこと、遠く離れた東大阪でやっと葬儀ができるとのことで、わたしも電車を乗り継いで参列したことも、記憶に新しい。

 わたし自身、この2年前の春、定年を前にして「特命事項」のリーダー役を命じられた。それは、在籍会社の大阪と和歌山の同業子会社同士を「合理化」「スリム化」の目的で合併させようというモノ。お互い約50年の社歴があり、同業とはいえ性格が異なる会社を合併させる業務のリーダー役とは?いろいろメンバーと協議し、得られた結論はプロジェクトチームを組み、専門的な知識はその担当部署から指導を仰ぐなど、悪戦苦闘を重ねながら、一年前の春、新会社を設立、社長を補佐する立場で、「全社統括役員」を務めていた。要するに”旗振り役”である。何もかもが新しいことだらけ!こういう次第で、割合幅広い仕事を担当することができたサラリーマン生活であった。
 このジェネラリストとしての経験は、その後のわたしの人生にもいかせられてきた、というのは、「ものごとを単に知ることではなく、この場合はどこを探せば回答が出てくる、いわば字引をもっているようなものだから!全て覚えておく必要はない。このときはどこを探せば答えが出てくる、というもの。


 それに、もう一つ地元に関わることがある。和歌浦湾の一角を埋め立て人工島「和歌山マリーナ・シティー」を造成、そこで「世界リゾート博」を開催し、開催期間中約260万人の観客を集め、盛況裡に幕を閉じたが、そこの人気メニューの一つが光の芸術ともいわれる”ルミナリエ”、これが日本初といわれたが、翌年阪神大震災が発生、この「ルミナリエ」を”鎮魂と復旧のシンボル”にしたい神戸市の熱い思い入れを聞いた関係者は、復興に役立つのならと、神戸に譲った、逸話があります。

 それは、「神戸ルミナリエ」は1994年夏「和歌山マリーナシティ」で開催された「世界リゾート博」の記念イベントで1994年夏に開催された「和歌山ルミナリエ」で使用したあと保管されて いたものを利用して第1回が開催されたそうです。第2回目以降は、神戸市が単独開催されましたが・・・!

阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、1995(平成7)年12月に開催されたのが始まり。以降、神戸を象徴する行事として多くの人々に支えられ、今では神戸の風物詩となっている。テーマは毎年変わり、そのイメージに沿って制作される
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武庫川中州に「生」の文字が浮かび上がり、黙とうする制作関係者ら=兵庫県宝塚市で2016…
 
 兵庫県宝塚市の武庫川で16日夕、中州に石を積んで作った「生(せい)」の字のオブジェを懐中電灯で照らし出し、阪神大震災の犠牲者の冥福を祈る催しがあった。
 
 震災発生時刻の12時間前の午後5時46分、縦20メートル、横約10メートルの「生」の文字が暗がりに浮かび上がった。宝塚市の現代美術家、大野良平さん(56)が市民と制作。2011年から毎年開催しているが、台風で中州が流されて昨年は中止した。大野さんは「震災を知らない世代が増えた。生命の大切さを考えるきっかけにしてほしい」と話した。
                                       
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・「阪神大震災」から21年、「鎮魂」の他に「未来」の字が見える。未来への途未だ遠しということだろうか?阪神大震災を通して東北の復興をみる。遅々として進まぬ復興、仮設住宅住まいも、すでに5年。
                                                                                                                                         
                                                                                                                                               以上




 
 
 
 

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