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2014年1月22日水曜日

ニュース和歌山・(和歌山)「城下町の風景」Ⅱ掲載始まる!



ニュース和歌山では、過去紀伊国名所図会に彩色を施し、「城下町の風景」「和歌浦の風景」を連載するとともに単行本としても発刊し、観光案内書や地元住民のコレクションとしても愛読され、好評を博してきましたが、この度「城下町の風景」Ⅱ弾として掲載されることになりました。



紀伊国名所図会
 
 
 
城下町の風景
 和歌山市の中心に位置する「和歌山城」。天正13年(1585年)に紀州を治めた豊臣秀吉が弟の秀永に築城させ、江戸時代には徳川頼宣が入城。紀州五十五万五千石として、徳川御三家のひとつに数えられました。8代将軍となった吉宗は、紀州徳川家の5代藩主です。

 江戸時代の城下町の景観と人々の暮らしを描いた『紀伊国名所図会』は、文化8年(1811年)に出版されました。この中から、和歌山の城下町が描かれた30枚に彩色し、当時の人々の暮らしを生き生きと再現したのが『城下町の風景』です。

 和歌山市立博物館総括学芸員の額田雅裕さんが解説を、芝田浩子さんが彩色を担当。現在の写真と地図を添えており、江戸時代と現代を見比べられます。

A4版オールカラー、64ページ。税込み1,050円
お申し込みは
「購入申し込み」ページからお願いします。

紀伊国名所図会

 
和歌浦の風景
 万葉集にも詠まれた風光明媚な地「和歌浦」。和歌山市の南西に位置し、潮の干満により和歌川河口には干潟が顔を出します。朝日、夕日にきらめく水面の美しさに、古くは山部赤人が、江戸時代には松尾芭蕉が、句を残しています。

 江戸時代に発行された『紀伊国名所図会』には、和歌浦の東照宮や天満宮、妹背山などをはじめ、紀三井寺、高松など周辺の風景が描かれています。 図会に彩色し、解説を加えた『和歌浦の風景』には、これらの風景はもちろん、400年前から続く和歌祭の絵巻や、紀三井寺の参詣曼荼羅を掲載。現代の写真と地図との比較で、当時からの変化を楽しめます。

A4版オールカラー、64ページ。税込み1,050円
お申し込みは
「購入申し込み」ページからお願いします。

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和歌山国体が来年に迫ったなか観光案内書としても地元住民にもひろく和歌山を知って頂く意味を込めて、同社のお許しを得て転載させて頂く予定です。 

どうぞ、シリーズとしてご愛読下さるようお願いいたします。

 

 

 

 
 

吉宗のレジェンド ①岡の宮・松生院・珊瑚寺

 

連載リスト
 上の絵は、吹上砂丘の東側、岡地区の約200年前の風景です。そこは砂丘の風下帯にあたり、集落の立地に適し、町屋や寺社が建て込んでいました。
 


 左上の刺田比古(さすたひこ)神社は、道臣(みちおみ)命・佐氐比古(さでひこ)命を祭神とする式内社で、「岡の宮」の名で人々に親しまれています。同社は、8代将軍徳川吉宗が生まれた時、風習によって扇の芝へ捨てられたのを、宮司が拾い上げて加納家で育てられたという伝説で知られています。岡の宮の右の「鐘楼」は、吉宗が城下に時を知らせるため、正徳2年(1712)に建立した岡山の時鐘堂と思われます。
 


 右下の「弁天山」の西側は向陽山蘆辺(あしべ)寺と称する松生院(しょうじょういん)です。本尊は不動明王で、もとは和歌浦にありましたが、中世末に山東の黒岩へ移り、近世初めに浅野幸長によって現在地へ移されました。本堂は、柱の墨書から永仁3年(1295)の建立とわかり、戦前には国宝に指定されていました。昭和20年の空襲で焼失しましたが、本堂や山門は当時のまま再建されています。
 


 左下の珊瑚寺は曹洞宗の禅寺で、観世音菩薩を本尊とします。初めは和田村(和歌山市和田)にあった三五寺でしたが、豊臣秀長の城代桑山重晴がここに移して珊瑚の数珠を寄進したことから珊瑚寺と改めました。境内には慶長11年(166)に亡くなった彼の墓碑があります。(和歌山市立博物館総括学芸員 額田雅裕)
画=西村中和、彩色=芝田浩子
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 江戸時代の地誌書『紀伊国名所図会』に彩色し、解説する「城下町の風景」の第2弾。今号から水曜号で掲載します。
ニュース和歌山2014年1月22日号掲載

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