ブログ アーカイブ

2013年8月2日金曜日

韓国出身の評論家で、拓殖大学教授の呉善花氏韓国入国拒否さる!

"入国拒否" 呉善花・拓殖大教授が会見 ・07月31日


韓国では自国民でも親日派は「売国奴」とほぼ同義という評価を受けるようである

2013年7月31日、韓国出身の評論家で、拓殖大学教授の呉善花氏(日本国籍)が東京・有楽町の外国特派員協会で会見した。呉氏は27日に韓国への入国を拒否されており、その一連の経緯にを記者たちの前で語った。


 
みなさんこんにちは。本日は私のためにお集まり頂きまして、ありがとうございます。

私は去る7月27日、11時15分に仁川国際空港に到着しました。午後3時からソウル市内で行われる甥の結婚式に参加するためです。急いで入国審査を受けようと並びました。パスポートを提出したところ、ブラックリストに 載っていたということで、脇にある部屋に行くよう指示されました。手続きがなかなか進まないので、「15時から結婚式に参加しなければならないので、どのくらいかかりますか」と聞いたのですが、「待ってください」ということで、その後約1時間待たされました。時間は刻々と過ぎていきますし、その間、とても不安でした。そして、「もうあなたは入国できません」ということでした。「理由はなんですか」と聞きましたが、「それは言えません」ということでした。「教えて下さい、もしだめならば、せめて結婚式だけでも参加させてください」と言っても、「それは絶対言えません、上からの命令ですので」「いずれにしても入国は出来ません」ということでした。

そして、2枚の紙を渡されました。見ますと「入国不許通知書」で、ここにサインをしてください、1枚は私たちが保管、もう1枚はあなたが持ち帰ってくださいと言われました。書類の一番下には、入国できない理由の欄がありましたが、そこには何も書いてありませんでした。私は、理由が書かれてないのにサインすることはできませんと、強く拒否しました。すると、「サインをしてもしなくても、入国はできません。待機室で待っていて下さい。今日中に日本に帰って下さい」と言われました。その後、17時40分の便の席が空いているので、それに乗って下さいと言われま した。搭乗の際は、担当者が飛行機まで付いて来て、乗務員の方にパスポートが入った袋を渡して、日本に着いてからお返ししますから、という説明がありました。


 
日本に到着しますと、パスポートと、「送還指示書」を受け取りました。おそらくサインをしなかったために、強制送還ということになったのではないかと思います。"出入国管理法72条の規定により大韓民国の外へ"、というようなことが書いてあります。72条については、家に帰って調べましたけれども、韓国に、経済的な害を及ぼす、あるいはテロに相当するもの、ということですので、私に相当するものではありません。

私は2007年にも入国を拒否されたことがあります。翌日に行われる母の葬儀に出席するため、済州島に12時ごろ着きましたけれども、夕方の便で日本に帰れ、ということだったんですね。その時も、理由は全く教えてくれませんでしたし、葬儀だけでも、と言っても、上からの命令ですので絶対できませんということでした。知り合いを通して、日本の外務省から済州島の領事館に要請をしていただき、数時間後かかったのですが、やっと入国許可が取れました。ただし、葬儀以外の一切のことはできませんということを書かされ、捺印した上でした。2年ほど前からは、問題なく入国できていました去年も2回ほど行ってきましたし、今年も3月の春休み、また4月の末から5月にかけて、親戚に会いに数日間行きましたが、何の問題もなかったので安心していました。

今回のことは、反日感情が激しくなっていたからではないかと思います。そうしますと、その理由は間違いなく、私の日頃の著作活動についてのことになると思います。つまり、言論を理由とした入国拒否ということしか考えられませんし、言論の自由の侵害と見ていいのではないかと考えております。民主国家、文明国家、そして近代国家ではありえないことだと思います。

さらに問題なのは、翌日、韓国の新聞各紙も私のことを報道しました。しかし、韓国政府による入国拒否の理由について触れることはなく、"嫌韓をあおる呉善花"という非難を含む内容でした。これらの政府の措置への批判や、言論の自由、人権問題であることについて、どのメディアも触れることはありませんでした。とても民主国家のマスコミとは言えない。

これら韓国政府の入国拒否、そしてメディアのあり方について、私は強く抗議しています。以上です。

 ・わたしは彼女が著作を出版し出したときから、その視点が面白くて金達寿{日本のなかの朝鮮文化」、李御寧「縮み志向に日本文化」などとともに彼女の「スカートの風」などを読んだモノだ。


 
 



呉 善花(オ・ソンファ、1956年 - )出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
は、韓国生まれの日本評論家、教員、言論家。済州島出身。大東文化大学(英語学専攻)卒業後、東京外国語大学地域研究研究科修士課程(北米地域研究)修了。拓殖大学国際学部教授。元韓国籍で日本に帰化。

略歴

済州島にいた子供時代は、戦前に日本生活経験のあった母親からの影響もあり知日家、主に学校教育によって反日主義に傾倒したが、来日しさまざまな葛藤を経て知日派へと移行していった。
1983年、来日。韓国からやって来たホステスたちを書いている「スカートの風」は、一躍、ベストセラーとなり、日本社会に呉善花の名を知らしめる契機となった。後にシリーズ化し、『続 スカートの風』『新 スカートの風』が出された。
他の代表的な著作に、『「日帝」だけで歴史は語れない』、『攘夷の韓国 開国の日本』(山本七平賞受賞)などがある。論説の一部において、韓日併合を全否定しないことや日本の自虐史観の改善等への言及があり、そのことから、日本では知日派(但し先述のように帰化済みである)、韓国では親日派(「売国奴」とほぼ同義)という評価を受けるようになった。
韓国における漢字復活論支持者でもあり、自著でもたびたびハングル専用教育の弊害について言及している。

韓国による入国拒否

2007年10月1日、済州島在住の母の葬儀で母国に帰郷しようとしたところ、日本での「反韓国的な活動」が理由で韓国当局から入国禁止措置が取られていた為、済州空港で一時入国を拒否された。これに対し、呉の要請により在済州日本国総領事館から日本人への人権侵害との申し出があり、韓国入管は呉の入国を認めた。
2013年7月27日には、親戚の結婚式への出席のために韓国へ入国しようとしたが、仁川国際空港で完全入国拒否となった。
ルーツを朝鮮半島に持ちながら韓国に対して批判的な評論活動を依然として行なっていることが影響したと見られる。韓国の入管当局は拒否理由についてノーコメントとしている。

0 件のコメント:

コメントを投稿