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2012年12月30日日曜日

野球界の星・松井秀喜に見る”男の美学”

   2012年がまもなく、その幕を閉じようとしている。


 ことしは、ロンドン五輪の金/銀/銅メダルラッシュ、体操競技の田中三兄姉にレスリングの湯元選手ら県下勢も入っている。そして、なでしこジャパンの大活躍・ノーベル医学・生理学賞受賞の山中伸弥京都大学教授と多くの感動をわれわれにプレゼントしてくれたが、反面遅々として進まない東日本大震災の復興・原子力問題・円高・TPP問題・近いうち解散に見られる政治の混乱と民主党の惨敗と政権交代、国民に愛された女優森光子さん個性派俳優・大滝秀治さんの逝去、それに余りにも若すぎる18代中村勘三郎氏の死去等、悲しいことがいくつもあったが、国民にとっては「先が見えない霧中の手探り」状態の世相は、日々の営みと近い将来の生活に不安が募るばかりである。果たして2013年の日本は何処へむけて流れて行こうとしているのだろうか?

民主党にとって代わった自民党の◯総裁は首相就任前から日銀総裁に圧力をかけ、憲法改正・自衛隊を国防軍への強化、尖閣諸島防衛のために艦艇の増強・常駐軍の配備・教育のあり方の見直しや「目には目を歯には歯を」式な対抗策と右傾化政治の復活とも受け取れる「きな臭い政治」に舵をきらないかと、 気が気でならない歳末雑感である。
 
 話が代わるが、日本のプロ野球の巨人、大リーグのニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜外野手(38)が27日(日本時間28日)、現役引退を発表した。

ニューヨーク市内で記者会見を開き、「命懸けでプレーして力を発揮するという気持ちでやってきたが、結果が出なくなったことがすべて。体力的にも、多少下り坂な中で、手術した後もなんとかだましだましやってこれたと思いますが、今日、こういう形でみなさまにご報告することになりました。この20年間、本当にたくさんのファンの方に応援していただき、それが大きな力になりました。そして、すばらしい指導者の方と出会い、すばらしいチームメートとプレーすることができたことが、ぼくにとっては一番大きな誇りだと思う」などと話した。

 

 日本からアメリカ大リーグでプレーすることを夢見て、渡米したがわが国からすれば格段の厳しさの中で(例えば、転戦の移動距離にしても  わが国の数倍で、体調管理には万全が要求される)力を出し切れずに、自由契約となり日本に帰国して日本のプロ野球で後世を送る選手達が多い中で、松井秀喜選手がとった選択は、相撲界で云えば「横綱」の引退に喩えられよう!

 

彼は球界から身を引く理由として「命懸けでプレーしてきて力を発揮するという気持でやってきたが”結果が出せなくなったことがすべて”」とまさに横綱が引退するとき口にする言葉クラス。

自分で自分の置かれた立場を冷静に見つめ、ナンの拘りもなく引退を表明したところに、久方ぶりにまさに松井秀喜という偉大な野球界の巨人の”モノノフ”らしい”男の美学を見る清々しい想いがした。聞くところによると ヤ軍が用意したのは、松井への最大級の敬意だった。某関係者は「ヤンキースが来年、松井の引退に敬意を表して、1試合だけの契約をして試合に出すかもしれない」と説明。ジーター、Aロッドら元同僚に見送られながら、最後の1試合を過ごすかもしれない。

 ニューヨークのファンも待ち望んでいるはずだ。メジャー挑戦1年目の03年の本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。09年のワールドシリーズでは3本塁打でシリーズMVPに輝き、ワールドチャンピオンに貢献。ヤ軍の勝利のために尽力した松井の最後の雄姿を見たいファンも多い。

 また、巨人も今後、功績をたたえるイベントを行うことになりそうだ。白石オーナーは「球団で検討して、こういうことをしたい、というのであれば、ぜひ、実現させる方向でやろうということです」と説明。日本のファンの前で松井自身が感謝の言葉を告げる場面を作り出すなど、接点を見いだしていくことになる。日米で一時代を築いたスーパーヒーローを第二の人生に送り出すため、両球団が今後も松井をサポートする。

 

願わくばプレーヤーとしては引退してもコーチや監督業のことを学び、指導者としてぜひ球界にて第二の松井選手、第三の松井選手を産み育てることで、長年お世話になった野球界に恩返しをすることに後世をささげて欲しいものだと思う。これが”男の美学”第二章と思うのはわたしだけの希望だろうか?

  

「何一つ悔いはない」松井秀の会見一問一答


写真:引退会見をする松井秀喜選手=27日午後、ニューヨーク、中井大助撮影

                               引退会見をする松井秀喜選手=27日午後、ニューヨーク
写真:6月1日のオリオールズ戦で今季2号本塁打。最後のアーチとなった=ロイター

                        6月1日のオリオールズ戦で今季2号本塁打。最後のアーチとなった=ロイター


 思い出が詰まったニューヨークを、松井秀喜は引退会見の場所に選んだ。甲子園で活躍し、巨人の4番となり、そしてヤンキースへ――。球界の王道を歩み続けた男は27日の引退会見で、ひと言ひと言かみしめるように、野球人生を振り返った。

 会見での一問一答は次の通り。

 ――いつ引退を決断したのか。

 そういう気持ちは常にあったが、野球が好きだし、プレーしたい気持ちも心の中にあった。(引退に)傾いたのはつい最近です。

 ――日本球界に戻る選択肢もあったのでは。

 10年前、巨人の4番打者として誇りと責任を持ってプレーしてきた。日本に戻ってプレーすれば、ファンは10年前の姿を見たいと期待されるでしょう。正直言って、その姿に戻れる自信を強く持てなかった。

 ――この20年間を振り返って。

 一言では振り返れない。巨人で10年、ヤンキースで7年、長い時間を過ごした2チームには特別な思いがある。巨人はふるさとのようなチーム。憧れていたヤンキースは時間を過ごすなかで家族の一員になれた感じがする。

 ――20年間で一番思い浮かぶシーンは。

 長嶋監督と2人で素振りをした時間ですね。一番印象に残っている。

 ――長嶋さんに報告は。

 しました。少し残念そうな感じと、よくやった、ご苦労さん、という両方があったと思う。プロ野球選手の心構え、練習の取り組み方、すべて学んだ。それが、この20年間を支えてくれた。

 ――引退を最初に伝えた人は。

 妻です。ケガをしてから結婚した。心配をかける時間が多かったと思う。あまり球場に来なかったが、(MVPに輝いた)2009年のワールドシリーズは全試合を見に来ていた。現役時代の唯一の恩返しになったのではないか。

 ――今後も野球に携わっていくのか。

 日米で10年ずつプレーした経験を、いい形で伝えていければ。ただ、高校を卒業して20年間、プロの世界にしか身を置いていない。いい形で伝える土台をつくる期間が必要と感じている。

 ――悔いはないのか。

 その時、その時で考えて決断したことに何一つ悔いはない。

 ――日米通算507本塁打についてどう思うか。

 どうのこうのはない。チームが勝つこと、いい方向に向かうために、自分が努力することしか考えていなかった。

 ――今の心境は。

 寂しい気持ちとホッとした気持ちと、複雑ですね。まあ、引退ということになるが、自分としては引退という言葉を使いたくはない。草野球の予定もあるし、まだまだプレーしたい(笑)

 ――米国で学んだことは。

 たくさんあります。一番は、全てが実力次第ということ。

 ――自分に言葉をかけるとしたら。

 よくやったとか、頑張ったという気持ちはない。努力をしてきた気持ちはあるが、もう少しいい選手になれたのかも。

 ――人生にとって野球とは何か。

 そんな哲学的なものは持っていない。最も愛した、好きなものかな。

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