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2012年4月21日土曜日

和歌浦を訪ねて「玉津島」その2.


  前回は玉津島神社を中心にして本殿の背後にある「奠供山(てんぐやま)」に登り、聖武天皇が見た和歌浦の光景と山部赤人の詠める歌を紹介したが、今回は玉津島神社を後にして、同社入り口の南に位置する「鏡山」南麓にこの度設置された「大型案内板」を、まづはじめに見て頂き、それにそって鏡山周辺にある「塩竃神社」や歌碑・句碑の類い、それと明治から大正時代に掛けて営業していた芦辺屋・朝日屋の料理旅館跡に設置された案内板等を案内することとする。
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鏡山・右へ廻った処に玉津島神社入り口がある
国名勝「和歌浦」全体案内板

案内板の説明拡大
萬葉のふるさと・玉津島
料理旅館・芦辺屋・朝日屋跡案内板
芦辺屋(左)朝日屋(右)古図

芦辺屋(左)朝日屋(右)古写真

「和歌浦」古図

鏡山より妹背山を望む・画・雑賀紀光

塩竃神社(左)中央に石碑が見える

塩竃神社図・画 野呂介石(紀州藩絵師)

塩竃神社古写真
「鏡山」案内板

奠供山(玉津島神社奥・聖武天皇登山

望海楼跡案内板

奠供山(右)の麓に望海楼があった
望海楼とエレベーター(夏目漱石が利用した)

望海楼エレベーター(拡大)

奠供山と望海楼エレベーター

「和歌浦」屏風絵
 名勝全体の大型案内板を鏡山南に置き、奠供山、鏡山、芦辺屋・朝日屋跡地、望海楼跡、片男波、観海閣、妹背山と7地点に案内板を備え付けた。

案内板には解説だけでなく、『紀伊国名所図会』の絵や、古写真を盛り込んだ。奠供山には明治時代に東洋一とうたわれたエレベーターがあったこと、芦辺屋には南方熊楠が孫文と1901年にここで親交を温めたことを記している。望海楼跡には1910年文豪夏目漱石が宿泊し、その西隣に設置された当時東洋一のエレベーターの漱石が乗り、奠供山から遠く紀三井寺を臨んだことなど記されている。これらのことは漱石『行人』に記されている。

このように「和歌浦」は文人・墨客がしばしば訪れた景勝の地で、江戸時代には俳聖松尾芭蕉がこの地を訪れ、ここから紀三井寺に詣で両所で句を詠んでいる。
万葉集で和歌浦を詠んだ歌は、2010・8・5「和歌浦」が国の名勝に指定されたときに、8・11~20にわたって、都合4回紹介しているので、今回は松尾芭蕉が春を追って、高野山を経て和歌浦に駆け付け、さらに紀三井寺まで舟で渡ったが、紀三井寺の桜はすでに散り果ててしまっていて、
紀三井寺の桜のおり紹介したように、

”見上ぐれば 桜しまうて 紀三井寺”


"行く春に   わかの浦にて   追いつけたり "
(早足で北へ行く春にやっと和歌の浦にて追い付いた気分だ)
という句を詠んだ。南国紀州の春は、はやかったのだろうか?



松尾芭蕉の”行く春や”の句碑

山部赤人が詠める「和歌の浦に 潮満ち来れば 潟を波」の歌碑 

奠供山からの展望

つぎは、「妹背山」です

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