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2011年11月8日火曜日

チベット仏教の最高指導者・ダライ・ラマ14世の言葉

 チベット仏教の最高指導者でノーベル平和賞受賞者のダライ・ラマ法王14世は去る10月末和歌山・高野山を訪れた。 高野山大学が真言密教とチベット密教の学術・文化交流を目的に招いた。同法王は高野山で10月31日、11月3日と2回若者を対象に法話を行い、3.11の被災地東北、東京での法話へと旅だった。

 そして、ダライ・ラマ14世が7日、都内で会見を行った。自由報道協会が主催したもの。ダライ・ラマ14世は、今回の来日で東日本大震災の被災地を訪問をしている。原発エネルギーを容認する姿勢への質問には、自然エネルギーで電力をまかなえる可能性があるのは先進国だからであり、発展途上国には原発は必要だと訴えた。

われわれも今後原発の必要性を考えるうえで同法王の言葉は、ある意味方向性を示した言葉になるのではと思い、自由報道協会主催の法話と記者団の質問に答えた回答を引用させて貰った次第である。

 午前10時から開催予定だったが、予定をオーバーして午前11時過ぎから始まった。大勢の記者団に囲まれる中で「私にも人権がありますので、フラッシュをあまり強く焚くのはやめてもらえませんか?」とジョークを飛ばす場面もあった。76歳とは思えない張りのある声で以下のように話した。

「ダライ・ラマの言葉」
 訪日の目的について申し上げます。高野山における法話も行いましたし、地震にあった被災地も訪問しました。被災者と私の考えも共有させていただき、今こそ町を建て直し復興していくべきではないかという話をしました。

 こうしてメディアの方にお目にかかる上では、2つの点について話しています。ヒューマン・バリュー、人間の価値についてです。責任を持つ、他の方を思いやるという気持ちです。私達が謙遜の心を持ち慈悲の心を持つことが重要だと思っております。これは宗教的なことだけではなく、私達が生まれたときに倫理というのはある物だと思っています。
 メディアの方々は民主主義の社会に置いて重要な役割を持っています。皆さんはゾウのように長い鼻を持って匂いをかいでください。現実がどういう物なのかをきちんと認識して、社会の腐敗をなくしていくために活動されることが重要だと思っています。

 以前、私はチベットにおける困難に対して様々な責任を負っておりました。しかし、今年5月には政治的な立場を選挙で選ばれた人に譲りました。ダライ・ラマは1~4世は政治的立場はなく、宗教的立場と政治的立場を兼ね備えたのは5世以降でした。そして、14世の私は喜んで政治的立場を降りることにしました。真の民主主義を進めていける体制にしていきたいと思っています。

「記者団からの質問」
―中国のチベット族自治州で尼僧が焼身自殺しました。中国政府のチベット政策についてどう考えますか?またそれに対して非暴力で対処すべきでしょうか?


記者団の質問に応えるダライ・ラマ
  ダライ・ラマ
ー非暴力についてですが、チベットに住む人には「常に非暴力であれ」と私は言っています。そして、中国共産党はチベットを占拠しています。「いや、解放したんだ!」と主張する人もいますが、それは是非とも調査していただきたいと思ってます。
 我々はチベット語という言葉も独自の文化も持っています。それの自治権を持ちたいという風に思っています。
 皆さん自身がチベットに行って、現実を見て頂くしかない。私が何を言っても中国に対してはあまり意味のないことです。「私は日本人です」と書いて、入国するといいでしょう。中国は全体主義ですから本当のことを言うことができない。政府の人も上司に真実を報告できない。そういう意味では中国はヒポクラシー(偽善)の聖地ですから。

「発展途上国に原発は必要」

-原子力エネルギーに賛成と仰っていますが、福島ではいまだに不安と絶望の中に生きています。福島第一原発からの20キロ圏内では見捨てられた動物たちが飢えで死んでいます。福島の事故によって、直接的な死者は出ていませんが、多くの家畜が死んでいます。宗教的リーダーとして、人権保護者として、人間には幸せに生きる権利があると思うのです。その中には、放射能に侵されずに生きる権利もあると思うのですが、いかがでしょうか。

ダライ・ラマー私は「常に全体的に物を見なさい」といつも言っています。原子力についても同じ事が言えます。
以前来日した際に、原爆ドームを見ました。広島の原爆資料館に行った事もあります。実際に被爆者の声も聞かせてもらいました。
原子力を兵器として使うことはこれは望ましいことではない。ただし平和目的に使われるのであれば、別の問題だと思います。
もし、原子力発電の代替案があるならばいいでしょう。水力発電所・ダムを作れば自然に対して何らかの破壊、悪影響を及ぼします。風力エネルギー・太陽エネルギーというのも十分でないかもしれない。

ここで「十分」というのは、日本や、先進国の「十分」ではなくて、発展途上国に対しても「十分」ではなくてはならない。そうでなければ、貧富の差はますます広がってしまう。むしろ私たちはこれから発展していく国々の事を考えて、方策を考えていくべき。
最終的な決断は専門家の方々が全体的に広い角度から、最大限の注意を持って結論を出されるべきだと考えています。
物事を成す時は、99%の安全性を考えて欲しいが、いくら安全性に対して配慮しても、1%の危険は残ります。100%とは言えないと思います。例えば、車を運転していても1%の危険はあるでしょう。美味しい食事をいただいていても、どこかにリスクはあるかも知れません。少なくとも万全を期して、行っていくことが大切だと思います。
例えば、チェルノブイリは古く、十分な注意をしていなかったから事故が起きました。もしかすると福島原発もここまでの津波を予想していなかったので、こういう状況になったのでは。大切なのは安全策を最大限に考えていくこと。
ただ、原子力発電所はもういらないと、皆さんが決めるなら、それはそれでいいと思います。

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