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2011年9月24日土曜日

「和歌浦の風景」その7.妹背山・観海閣から臨む名草山

(上と下の記事はニュース和歌山/09.11.7&11.14日「和歌浦の風景」より)
上の絵は、和歌浦・妹背山の観海閣から名草山中腹の紀三井寺を望んだ約200年前の風景です。
観海閣は、正保2年(1645)から慶安4年(1651)ごろに初代藩主徳川頼宣の妹背山周辺整備によって、和歌浦の景色を眺められる施設として建てられました。
観海閣の大きな屋根の下には、和歌浦の景色を愛でる人やキセルで煙草をのみ一服する人たちがえがかれています。左側では、敷物に座り、お酒を飲みながら重箱をつついています。手前の人は、片ひざを立てて扇子で風炉をあおぎ、お酒を熱かんにしています。奥の2人は、すっかり上機嫌で、艶やかな着物の女性に話しかけています。
観海閣には、旅姿の人や背中に「西国三十三所」と書いた西国巡礼の人たちも大勢休憩しています。おそらく芦辺屋前から対岸の第2番札所紀三井寺へ向かう舟の出る時間を待っているのでしょう。
そのほか対岸には、布引の砂州、三葛・田尻の集落が見えます。現在の県立医科大学附属病院がある和歌川河口付近には、良質な三葛塩を産出した塩田がひろがっています。  ( 和歌山市教育委員会 額田雅裕)

 上の絵は、名草山中腹に位置する紀三井寺の約200年前の全景です。同寺は、宝亀元年(770)、中国の僧為光(いこう)上人によって開かれた寺院で、金剛宝寺と号します。本尊は十一面観世音菩薩で、西国第二番札所として有名な観音霊場です。
名草山の西麓を南北に通る近世の熊野街道には旅人の姿がみえ、門前町には「宿や」が並んでいます。表坂石段下に「こくや(穀屋)」と記された建物は、中世末から近世初頭に参詣曼荼羅などを持って伽藍再興のため各地を駆け巡った勧進聖(ひじり)の寺院です。
   表坂登り口には「二王門」、石段の左右には「普門院・平等院・瀧の坊・松樹院・宝蔵院・宝性院」の子院と三井水のうち清浄水と楊柳水があります。楊柳水の下の「志やか(釈迦)堂」は臨済宗正眼寺(しょうげんじ)で、日前宮の神官、紀国造がしばしば隠居所としました。その跡地には現在、浄土宗遍照院が建っています。
  232段ある石段の上には鐘楼・「大師堂・尺加(釈迦)堂・本堂・本坊」、上段には「鎮守・大日(多宝塔)・開山堂」が画かれています。開山堂前には伊藤蘭隅書という
「行く春に 和歌浦にて 追ひ付きたり」の桃青(松尾芭蕉)の句碑が建っています。 
(和歌山市教育委員会文化振興課  額田雅裕)       (以上ニュース和歌山より)
      
和歌浦~紀三井寺の渡し船
(つづく)

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