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2011年4月11日月曜日

11日・東日本大震災から一ヶ月!被災地は・・・いま

 3月11日の大震災から1ヶ月が経った。今日現在の死者の数は13.116人、行方不明は14.377人を数えるという。阪神大震災時は1ヶ月経過した時点で、行方不明者は2名だったというの比して、今回の大震災が如何に凄まじかったかがこの数字が示すのを見てよく分かる。それに原発事故による放射能汚染を食い止める手立てが未だにできず、累積放射線量が高い地域が新たに避難指示の対象に加わりそうである。
春、必ず来る・・・
 
 これらのなか、「桜前線」は静かに北上し、壊滅的な被害を受けた福島県いわき市久之浜で、津波を耐え抜いたサクラが開花したことが報じられていた。黙っていても、自然の摂理はスバらしい!被災地の人には「生きる希望の花」であろう。

 この度の「東日本大震災」の地震・津波の規模の桁外れの大きさと福島原発が大津波に被災し、全ての電源が使えなくなり原子炉冷却制御不能に陥り、原子炉水素爆発と放射能汚染を拡大し続けているが、この解決には数年を要するとのことである。

 これらのなかにあって、物理学者、随筆家、それに俳人であった寺田寅彦の話が引き合いに出される。「天災は忘れた頃にやって来る」という有名な言葉を遺した寺田であるが、宗教学者で昨年の南方熊楠賞を受賞した山折哲雄氏は彼のことを引いて次のように論じている。


山折哲雄氏
 1935(昭和10)年に「日本人の自然観」という文章で、日本列島が何千年もの昔から自然の脅威にさらされてきたことを論じ、日本の自然環境はきわめて不安定であるが、その根本原因は地震と台風にあるという。
そのため自然がひとたび荒れ狂うとき、日本列島に住む人々は、その脅威の前に頭(こうべ)を垂れ、自然に反抗することを諦めてきた。むしろその厳父にごとき自然から生活の知恵を学び、日常的な対策を立てて災害に備えるようになった。
 
 それだけではない。そのような生き方の中からいつの間にか「天然の無常」という感覚が育ち、自然の中にカミの声やヒトの気配を感じるようになったのだと山折はいう。物理学者が自然の前に首を垂れて、天然の無常に聞き入っているのである。無常観は仏教以前からのものだ、といっているところが大切な点ではないだろうか、と氏は説く。
 そして話は岡潔に及ぶ。岡の場合はどうだったのか。昭和40年のことだが、文芸評論家の小林秀雄と対談し「人間の建設」のなかでドキッとするようなことを語っている。彼は世界に知られた数学者で文化勲章を受章しており、晩年は奈良の住んで、ほとんど孤高の研究生活を送っていた。

 さて、小林秀雄との対談の話題は多岐にわたり、その中で、特に自然科学の命運に関する彼の発言に次のような箇所がある。
 世に20世紀は理論物理学の時代だったというけれども、それならこの科学の王者はどんなことをやったのか。第一の仕事は「破壊」だった。原水爆の発明はそもそもそうだったではないか。それに対して「破壊」に代わるべき「創造」を科学は何一つしてはいない。それから、もう一つ、理論物理学をはじめとする自然科学がやったことは「機械的破壊」だった。
 彼がいったことに、なるほどと思わないわけにはいかないには、工学的テクノロジーの異常な発達であり、それが今日の驚異的な「遺伝子操作」につながっていることは周知のことだ。この対談で岡によれば、自然科学は「葉緑素」一つつくることができないのである。
 山折はいう、科学技術の発達のおかげで人類はどれほどの恩典を受けてきたのかは知らない訳ではない。
 だが、上の二人の先覚者が、その人生の晩年に主張していたことに、いま改めて胸をつかれる。「天然の無常」という認識の深さ、であり、科学技術の限界についてである。
 一言でいえばそれは、”科学技術よ、おごるなかれ”ということだったと思う。   ◇        ◇
 もう一人、いまは「黙して語らず」であるが、独自の論理を唱える有名な哲学者梅原猛氏は、「一神教」と「多神教」について、このように語っている。
この二つの文明は、その農業生産の方法によっても思想を異にする。小麦農業は人間による植物支配であり、牧畜もまた人間による動物支配である。このような文明においては、人間の力が重視され、一切の生きとし生けものを含む自然は人間に支配さるべきものとされる。そして集団の信じる神を絶対とみる一神教が芽生える。
 それに対して、稲作農業を決定的に支配するのは水であり、雨である。その雨水を蓄えるのは森である。したがってそこでは自然に対する畏敬の念が強く、人間と他の生き物との共存を志向し、自然の至る所に神々の存在を認める多神教が育ちやすい。
 西の文明の優位は決定的であるように思われる。なぜなら近代ヨーロッパは科学技術文明というすばらしい文明を生み出したからである。この文明によって多くの人間は、かつて味わったことのない豊かで便利な生活を享受することができるようになった。
 しかしこの文明の限界も二十世紀後半になってはっきり見え始めた。人間による無制限な自然支配が環境破壊を起こし、やがて人類の滅亡を招きかねないという危惧がささやかれる。そして一神教は他の一神教と厳しく対峙して無用の戦争を巻き起こし、二十世紀の起こった人間の大量殺戮が二十一世紀にはより大規模の起こる可能性すらある。このような状況において、あえて人類の末永い繁栄のために西の文明の二つの原理である「人間主義」と「一神教」を批判する必要があろう。と述べている(『神殺しの日本』反時代的密語)。
 わたしが手にしたこの本は3月第1刷発行、まさしく梅原猛氏は、この度のことが起こることを起こるべくして起こった、と預言していた気がした次第である。
”人間よ、おごるなかれ! 科学技術よおごるなかれ”であろう。

 いまはただ一つ、世界の叡智をもって一刻でも早く怒れる原子炉を鎮めることだと、そのときが早く来たらんことを祈るのみ・・・!

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