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2011年1月13日木曜日

13日・『響』ーひびくー『松煙墨』のおハナシ(その1)!

 去る8日朝日新聞関西版夕刊に、定期的に『響』ーひびき紀行ーという連載がある。
 たまたま今回は33回目で『松煙墨作り』「和歌山県」とあった。
 わたしの地元でも約千年以上前に盛んに作られていた松煙墨「藤代墨」を復元しようとする運動が一昔前から続けられており、私にご縁が深い地元海南市「春日神社」では毎年正月元日2日の2日にわたり松煙墨を用いて「書初め会」が開催される。
 今年で16回目を迎えて780人の小中高校生の参加があり、若者に書道が年々盛んのなってきているのは喜ばしいことで、これらのことから新聞記事に着想をえて、紀州古代墨復元への取り組みを3回シリーズで追ってみたわたしのルポである。

 故(ふる)きを訪ねて、きょうは約千年も前に地元で盛んに作られた「松煙墨」の復元のお話しです。
 みなさんは、『響(ひびき)』という言葉を聞けば何を連想されますか?
「心に響く」「打てば響く」とか云いますよね!
今日は地元から、「摺れば心が落ち着き、書けば紙に滲む『松煙墨』のおハナシ」です。
 実は、むかし昔、地元大野郷・藤代の地(地名「墨屋谷」)で『松煙墨』が作られていたことが、古い記録に残されています。
 鎌倉時代に熊野詣の途次、藤代宿で後白河上皇に紀伊国の国司が「藤代墨」を献上し、上皇は「この墨  いか程のものぞ 試みよ」というお言葉に、御前に居た左大臣が右大将に薦めたところ、右大将は墨をすったが、その摺り方が除目の通りであったので、左大臣が感心したという。
 後白河院に献上するほどのできであったこと、お褒めに預かったことが『古今著聞集』にあり、大野郷に「墨屋谷」「墨ノ免}という名が残っており、恐らく当時藤白の南東にある「墨屋谷」があり「墨作り」をする者に税を免じたことが想像できます。 
 地元では、かねてからこれを復元しようという動きがあり、昨12月27日に紹介した海南市「春日神社」(私の遠い祖先ら10家が大和・春日の地から当地へ勧請した)でも境内にある熊野・松代王子になぞらえて松煙墨「松代墨」復元し販売しています。
 
 和歌山では、熊野古道の田辺市中辺路手前の鮎川という山の中で唯一『松煙』作り一筋の打ち込んでいる墨職人さんがおられ、この方が作る『松煙墨』は全国でも人気を呼び、専門の書道家も絶賛、そこで今日は書けば青みがかった色調を帯びる『松煙墨』のお話をします。

 何しろ、「墨を摺って心が澄む、心が鎮まる」こんな清々しい一年であって欲しい、そうしたいと心から思いますから・・・!
 みなさん「水墨画」や「」の世界では、” 墨は五彩に勝る”といいますが、この五彩とは、白、の五色をいうんですが、どんな色彩よりも黒一色の墨が奥が深いことを云います。 
 明暗を出すにも、遠近を出すにもあらゆる表現を濃淡一つで解決できます。
また、墨は黙仙(ぼくせん)ともいわれ、気分を落ち着かせ、精神統一をする働きがあります。硯の前で墨をすると、心が落ち着いてくるのはこのためでしょうか(写経など)。


『松はぜて 青墨夢幻 松煙墨作り』(和歌山県)


 漆を流したような重い闇に、鮮やかな炎が立ち上がる。炎にあぶられる小さな土窯の中には、脂をたっぷりと含んだ古松。やがて、熱を帯びた松は激しくはぜ、煙をはき始める。



 「この美しい炎と音を生み出す自然は一番の役者だね!」

 和歌山県田辺市の山奥に工房を構える墨職人、堀池雅夫さん(59)は、松から採れるススを使った墨「松煙墨(しょうえんぼく)」を復活させた。

 松を燃やした煤(すす)から作る幻の『松煙墨』500kgの松材を1日10時間10日間燃やし続けて、ようやく10kgの煤がとれる。
 煤とニカワを練り合わせて型に詰める。すべて手作りだ。



  窯に松の木片をくべてすすをとる堀池雅夫さん=和歌山県田辺市
 
 透明感のある青みがかった色を発する松煙墨は、「青墨(せいぼく)」とも呼ばれる。ススの粒子が不ぞろいなため、変幻自在ににじみ、かすれ、書に独特の味わいを生む。かつては松の多い紀州の特産だったが、戦後の植林、松枯れ、安い鉱物原料の普及などで、昭和30年代に途絶えたとされる。

 堀池さんは35歳の頃、脱サラして妻の実家のスス業者を継ぎ、この墨を探究し始めた。製法を知る元職人を訪ね歩き、ススを採るための松煙小屋も昔の形にならって建てた。自然に倒れて10年ほどの最適な松を山仕事の人たちに拾い集めてもらう。わずか10キロのススを採るために、1日10時間、10日がかりで500キロの松を燃やす。

 新しい世界にも挑む。松煙墨に顔料を混ぜた彩煙墨は、絵手紙向けなどにヒットした。「伝統を守りながら、一歩踏み出すことが楽しい」。堀池さんがそう語る墨の魅力に迫った。


莫山先生も愛した紀州の「暴れん坊」
 
 最近の墨の主流は、菜種油や重油を燃やしたススを使う「油煙墨(ゆえんぼく)」。しかし、豊かな表情を見せる松煙墨に魅せられた人は多い。

 
 昨年10月に84歳で亡くなった書家の榊莫山(さかきばくざん)さんもその一人。1993年1月に放送されたNHKの番組では、堀池雅夫さんの工房を訪ねた。田辺湾近くから今の山奥に工房を移し、本格的に墨作りを始めた頃だった。


 「私が使うのは油煙が2で、松煙が8くらい。これは暴れん坊。ここでにじんでほしい、ここでたまってほしい、という面白さは断然、松煙墨ですな」

 
良い墨はできて20~40年たつと色がさえ、最も信頼して使える。著書でこう記してきた莫山さんは、番組の中で語った。「紀州でよみがえり、こんなにうれしいことはない。あと30年は生きて使うてみたい」


◆紀州松煙 JR紀勢線紀伊田辺駅から車で約40分。国道311号で田辺市役所大塔行政局から約5分。
堀池さんによる墨作り体験教室(10~3月)は4人以上で要予約。電話0739・49・0801

堀池さんが作る『松煙墨』は、和歌山県特産品で県市とも広報でPRしている。
全国でも大人気だとか、専門家からも続々と注文が入ってきているそうだ。


(「松煙墨」の話は堀池さんの指導を受け自らも古い記録を調べた地元・海南市で「藤代墨」の復元を目指した平岡さんの話に続きます・・・)        


 

2 件のコメント:

  1. こんばんは。
    墨は奈良が有名ですが、奈良と和歌山はやはり関係が深いんですね。
    紀州備長炭は有名ですが、それとの関係もあるのでしょうか。
    長く墨をすってないなあと思いました。

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  2. megさん
    いまでも奈良は墨の生産では有名です。奈良は遙か昔から
    飛鳥や藤原京、平城京に都が置かれ、また寺社が多くて
    記録を取り残すことが必要だったからでしょう。
    都が京都に遷ってからも多くに寺社が奈良に遺りました
    から、当然墨の需要は大きいと思います。
    紀州は大和と地続きで、紀伊国=木の国と云われるように
    木=赤松が多かったから、松煙墨の原料が豊富だったので
    しょう。赤松は松脂に関係で火力が強くて松煙の煤が多く
    採れたからでしょう。焼き物の窯焚きの燃料に赤松が使わ
    れてましたが、赤松が殆ど手に入らなくなり、電気釜や
    重油を燃料とする窯に移って行ってます。
    墨も同じで石油系の煤で出来ています。松煙墨は貴重品で
    かつ高価です。

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