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2010年12月20日月曜日

20日・「熊野」(その3)イザナミが葬られた「花の磐」

 神話の世界にすでに「熊野」が登場する。それは国生みの女神イザナミノミコトが「熊野」の地に葬られたという伝承である。そこは熊野の有馬という」村である。
 「日本書紀」によれば、「神代の時代」は(下記神々の図を参照下さい。)



 熊野のことを2回にわたって書いてきたが、熊野のことは到底2回やそこらで書けるものではない。 だが、そうとは云っていつまでも長逗留する訳にもゆかず、先を急ぐとしよう。熊野そのものは、はるか神話の時代に遡る。


 皆さんご存知の国産み神話の「イザナギ」「イザナミ」尊の2神のうち、女神イザナミが「火神(カグツチ)を産むとき女陰(ホト)を灼かれて神退去りましぬ。故、紀伊国の熊野の有馬村に葬り祀る」と「日本書紀」神代上の一書にあるように、神代の昔からその名を知られている。
 
 この「熊野・有馬村」は三重県熊野市有馬町で、ここの「花の窟(はなのいわや)」をイザナミ尊の陵とする伝承は古い。
 すなわち伊勢神宮の天照大御神(アマテラスオオミカミ)の母神の墓が熊野にあるという伝承が伊勢と熊野を一体化する信仰を生みだしたとも言えるほど古いのである。 では、熊野ではイザナミ尊がどういう風に祀られているのだろうか?


                         

◎「花の窟」神社
 日本書記に「 一書曰、伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(かむさり)ましぬ 故(かれ)紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには花の時に花を以って祭る  又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とあり、即ち当神社にして、其の由来するところ最も古く、花窟の名は増基法師が花を以て祭るより起これる名なり。と、ある。
 
 花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。此の窟の南に岩あり、軻遇突智(カグツチ)神の神霊を祀る。此の神、伊弉冉尊の御子なれば王子の窟という 
 旧藩主に於いて、此の霊地保護のため寛文9年9月、及び元禄8年11月四至限界御定書を下付し、且つ高札を建て殺生禁断を布令せられた。
 また、昭和23年4月10日天皇陛下が皇太子殿下の当時、熊野地方御見学の途次御立寄りあらせられる。
「紀伊続風土記」に曰、祭日毎年二月二日、十月二日両度なり。寛文記に昔の祭日には紅の縄、錦の幡、金銀にて花を作り散らし、火の祭と云ひしとあり。
村人いふ錦の幡は毎年朝廷より献じ給ひしに何れの年にか熊野川洪水にて其幡を積みたる御舟破れしかば祭日に至り俄にせんすべなく縄にて幡の形を作りしとぞ。其後錦の旗の事絶えて縄を用ふ(今花井壮熊野川相須村の辺に絹巻石と云ふあり破船の時錦の幡の流れて其石にかゝりし故にその名ありといふ)今村人の用ふる所は縄を編みて幡三流の形を造り幡の下に種々の花を括り又扇を結びつけて長き縄を以て窟の上より前なる松の樹に高く掛け三流の旗、窟の前に翻る。歌舞はなけれども「以花祭又用鼓吹幡旗祭」といふ故実を存する事めづらしき祭事といふべし
 この窟は伊弉冊尊の御葬所であり、季節の花を供え飾って尊を祀ったが、故に花窟との社号が付けられたと考えられる。 
 古来、花窟神社には神殿がなく、熊野灘に面した巨巌が伊弉冊尊の御神体とし、その下に玉砂利を敷きつめた祭場そして、王子の岩と呼ばれる高さ12メートル程の岩がある。この神が伊弉冊尊の御子であることから王子の窟の名の由来とされている。
 これは新宮「神倉神社」の「天磐盾(あまのいわだて)」地元では「ゴトビキ岩」といわれる巨岩がご神体で、同じように古代の巨岩信仰を物語っているのだろう。神倉山の麓には「磐盾」という地名が今にあるのは、古代からのイワレがいまに残っている証であろう。この「天磐盾」については、神武天皇が熊野上陸のときにでてくるので、そのときに詳しく説明することとし、先を急ごう。












◎[花の窟と日本書紀]
 天地開闢において神世七代の最後に伊弉諾尊・伊弉冊尊(イザナギ・イザナミノミコト)ともに生まれた。
 国産み・神産みにおいて伊弉諾尊との間に日本国土を形づくる多数の子を設ける。その中には淡路島隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生んだ。
 伊弉冊尊の神逝り後、妻に逢いたくて黄泉国まで行った伊弉諾尊に死後の姿を見られたことを恥じて、逃げる伊弉冊尊を追いかけるが、黄泉比良坂(現;島根県東出雲町)で伊弉冊尊が道を塞ぎ、伊弉諾尊と離縁する。 その後、伊弉冊尊は黄泉国の主宰神となった。日本書紀の一書では三重県熊野市有馬の花窟神社に葬られたと記されている。





◎「熊野三山に祀る神=「イザナミノミコト」
 「熊野牟須美(クマノフスミ)大神」=イザナミの尊
 熊野大社本宮にお祭りしているイザナミノミコトは、別名を熊野牟須美大神(くまのふすみのおおかみ)・熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)と申し上げます。
・熊野本宮大社では、第一殿(西御前)に、
・熊野新宮大社では、第一殿(結宮)に、
・熊野那智大社では、第四殿(西御前)にお祀りしています。
 このように「イザナミノミコト」は熊野三山の主祭神として、現在に至るも生き続けているのである。

 では、熊野・花の磐を詠んだ歌を五首掲げておこう。古代・中世からいかに歌人が「憧れの地」だったかが、お分かりいただけよう!



(つぎは、神武天皇熊野上陸と吉野への道案内をした「八咫烏」の伝承について) 


 

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