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2010年11月30日火曜日

30日・「天野の里・その他のことども)(その4)

 平成13年に「和歌山県立文書館」が第5回「文書目録」を発刊した。
この目録には奇しくも、かつらぎ町天野・「丹生家目録」と、わが「尾崎家目録」が併録され、それぞれ約130ページづゝ、総262ページの目録として、古文書については県立文書館がマイクロフィルムに収め、ひろく一般に公開している。

 また、まことに不思議なご縁といおうか「丹生家文書」を提供された(故)丹生広良氏は「丹生都比売神」の神職の傍ら高校の漢文の先生を併せ勤められ、ご自宅はわたしの家内の実家の隣である。
「丹生家文書」は「丹生都比売神社」の創建が応神天皇期とされるだけあって、古代からの文書が圧倒的な数を占め、まことに貴重な文書である。
 また、氏は生前「丹生家」の歴史を研究、その成果を書物にして出版されている。
「丹生氏」や「丹生神社」についての研究はかなりの数の学者が取り組み、地元高野山文書、早大松田壽男教授、高野山大五来重教授や丹生広良氏ご自身が長年にわたり研究の成果を『丹生神社と丹生氏の研究』(きのくに古代史研究叢書1980)として刊行されている。
 丹生広良氏自身第128代宮司を務められたので、丹生都比売神社の歴史は如何に長く続いてきたかが窺えよう。わたし自身機会があれば一度眼を通してみたく思っていたが、生来の不精でいまだその機を得ないでいる。

他に『和歌山県史』『かつらぎ町史』『高野山文書』等にも「丹生」「丹生神社」のことが記されている。そういうことで是非に「丹生都比売神社」に宮司さんをお訪ねしたく、近いうちにその機をつくりたい。これも、県立文書館が取り持つ縁と言おうか、縁は異なものというが、不思議なものである。

 そしてもう一つ、わたしの趣味の焼き物のこと。実は親父の知人の息子さんで関西外国語大学に進み、在学中に茶道に興味をもち、それが嵩じて米国の大学の造形学科に留学し帰国後しばらくして高野山の西の麓「天野の里」の「丹生都比売神社」の東となりに登窯を築き、もっぱら信楽焼の作品を焼き続けている。
知り合いということもあって、彼の初期の作陶展から案内をいただき、こんにちに至っている。

【沖康史(おきこうし)】
 

 和歌山県高野山の懐に抱かれた隠れ里上天野にて、信楽をひたすら焼き続けられる沖康史先生をご紹介します。
意図せざる窯変やビードロが彩を添え、新たなる命を吹き込まれます。多彩な作曲線を基調とした斬新なフォルム素地は、登窯により焼込まれ、信楽らしい明るい発色をまとい、野趣を感じさる作品が多く生み出されています。
(略歴)
1948年 和歌山市に生まれる
1970年 関西外国語大学卒業 在学中より茶道を通して陶芸に興味を持つ カリフォルニア州サンホゼ市立大学芸術学部に留学、造形を学ぶ
1972年 帰国後、和歌山市内にて陶芸教室を主催
1973年 高野山の山麓、上天野に登り窯を築く
1978年 上天野の地に住居を移し焼締め作品制作に専念
大阪・東京他各地にて個展を数多く開く。

 わたしは、彼が「上天野」の地に登窯を築き焼き始めた頃よりの交友であり、かれこれ30年余になるが、彼の作品を数点購入している。
 いまや東京や大阪その他各地で作陶展を開催、この世界でも全国区の作家となられたが、彼より12月3日から10日間地元で作陶展開催の案内状を頂戴している。














 久方ぶりに旧交を温めたいと思っている。丹生都比売のある天野の土は「丹生」の名前のとおり赤土(丹=赤)であるが、彼が焼く信楽焼の土も、その天野の里の土なのか、それともわざわざ信楽から取り寄せているのか、いままで陶土のことは聞いたことがないが、丹生の土地に登窯を築いたのは燃料の赤松の確保だけでなく陶土もここの土に頼っているのかも知れないとも思う。
 それでは、わたしの所蔵品を含めて「沖康史」の作品の幾つかを掲載しておこう。 





















【沖 康史作陶展】

















 

 
 
 そういう疑問を抱きつつ、天野の里を訪ねる機会をはやく持ちたいものだとはやく春が来ないかと心待ちしている昨今である。
(かつらぎ町シリーズはこれにて終わります。長らくのお付き合いありがとうございました。) 

2 件のコメント:

  1. 土の味を生かした、自然でいい容の焼物ですね。
    しげやんさんが、天野の里を訪ねられるのを、私も楽しみにしています♪

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  2. megさん
    沖康史さんの焼き物はホルムといい、あまり作為がないが
    それでいてある程度シャープさが感じられます。
    焼き始めから現在も作陶に対するスタイルは余り変わりま
    せん。全国でもファンがかなりおられるようです。

    それから、丹生ですが丹生都比売神社には4殿と若宮まで
    ありますが、各殿により神主が異なります。
    丹生家でも本家が第1殿、分家が第2殿と祭神によって
    神職が異なるようです。
    厳島明神、気比明神の勧請した鎌倉時代の行勝上人の出自
    等検索を掛けましたが、なかなか適当な資料に行き当たり
    ません。かてて県立博物館が「丹生都比売神社」の展示会
    を03年に開催したことが分かりましたので、その筋から
    何らかの資料を得たく調べてみます。
    もう少しお待ちください。

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