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2010年4月19日月曜日

4月19日・「琴ノ浦温山荘園」を創った新田長次郎氏

 「琴の浦温山荘園」はのちほど述べるように、新田長次郎氏によって大正時代初めに着工、十数年を経た昭和初期に完成をみたが、氏の意思に基づき市民が利用出来るよう一般公開されていた。

 通称「新田の別荘」としてひろく親しまれていたが、氏は昭和11(1936)年80歳で亡くなくなり、故人の遺志でこの別荘を財団法人「琴ノ浦温山荘園」として基本財産を付けて保存、運営を財団に寄託したものである。
 因みに「温山」とは氏の号であり、「温山荘」は昨日書いたように東郷平八郎(元帥・海軍大将)の命名である。
 いまは、国道の拡幅・市民児童プールの開設や県立自然博物館設置等により、かつての面影が薄れた面があるものの、それでも本庭は昔のままであり、国道に隣接しながら静かな佇まいを残している。
 
 それでは、新田長次郎氏の人となりやエピソードについて触れることにしたい。


国指定名勝庭園・重要文化財答申建造物保有の「琴ノ浦温山荘園」を創った発明家・事業家の新田長次郎について!

 昨日ここへ書いたように、この度園内の建造物が重要文化財に指定の答申され、また今年2月22日に庭園が国名勝に指定された海南市船尾の温山荘園。

 同園を作らせたのは、 皮革界のエジソンと称された発明家・事業家の新田長次郎 (1857~1936) =写真=だ。
氏は篤志家としても名を知られ教育振興など社会貢献にも力を入れ、 協同・円満・慢心の排除を重視したという長次郎翁を紹介しよう。

 氏は安政4年(1857)愛媛県松山に生まれ、16歳の時に福沢諭吉の 「学問のすすめ」 に感動。20歳の時に大志を抱いて大阪に出た。 長次郎といえば動力伝達用革ベルトの発明だが、 製革事業に乗り出すきっかけは、 紀州藩のお雇いドイツ人技師ハイド・ケンペルの言葉、 「西洋では製革事業は製鉄事業と共に最も文明的な事業」 だったという。

 洋式製革技術を徹底的に研鑽修得した長次郎は、 27歳で独立 (現在のニッタ株式会社の前身)。 明治21年に日本初の動力伝達用革ベルトを製作し、 その後多くの発明・改良を経て、 世界三大革ベルトメーカーに成長させた。

 このように皮革について独創的な技術を開発したこともあり、日清・日ロ戦争を経て軍事大国へと歩むわが国の軍隊(陸海軍)の背嚢・帯革を独占的に納入する権利を取得し、これが同社が飛躍的な大発展をとげる要因となり、また軍の最高幹部にも知己を得ることとなったと思われる。司馬遼太郎「坂の上の雲」に登場する秋山好古将軍とは、同じ愛媛松山出身ということもあり、肝胆相照らす仲となったといわれているが、秋山好古将軍との関係については、稿を改めて述べることにしたい。

さらに、 ゴムベルトやにかわ、 ゼラチン、 ベニヤ板などの製造にも進出。 現在の新田ゴム工業(株)、 新田ゼラチン(株)、 (株)ニッタクスの基礎を築いた。

 事業に成功しただけではない。 帝国発明協会に多額の寄付を行ったほか、 教育を通じて社会に貢献したいと、 故郷の要望に応えて松山高等商業学校 (現・松山大学) 創立に寄与。 大阪市に有隣尋常小学校を開校し、 その後同市にすべてを寄贈している。

自身の健康回復のために作った温山荘園も、 従業員の慰労会などに使い、 後には一般に開放。 大勢の遊覧客が訪れた。 さらに、 所有していた北海道十勝の農場を、 農地改革が行われる以前から順次小作農に開放。 小作争議は皆無だったという。

長次郎は秋山好古とは無二の親友だったと紹介したが、 互いの立志と社会貢献、 教育・人間重視の思いに共鳴していたのだろうか。
 長次郎没後に設立された琴ノ浦温山荘園は、 国内五指に数えられた最大時5万坪の敷地の一部を、 戦後道路用地として供出。 残りの4分の1も、 県と海南市に無償使用を許可している (県立自然博物館やプールなどのため)。 長次郎翁の志は今も受け継がれているようだ。

同郷の無二の親友といわれる、司馬遼太郎『坂の上の雲』に登場する秋山好古(のち陸軍大将)との交友、氏の篤志家としての一面を表す、乞われて郷里、愛媛松山に私立・松山高等商業学校(現在・松山大学)設立の経緯については、次回に続く・・・




           温山荘の名付け親、東郷平八郎の書右。左は桂太郎の書(母屋大広間)

※東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)は、日本の武士・薩摩藩士、大日本帝国海軍軍人である。階級位階勲等爵位は元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・侯爵。
※桂 太郎/桂 清澄(かつら たろう/かつら きよずみ、弘化4年11月28日(1848年1月4日) - 大正2年(1913年10月10日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。第11・13・15代内閣総理大臣。元老、陸軍大将正二位大勲位功三級公爵。台湾協会学校(現拓殖大学)創立者初代校長。毛利家の庶流で重臣であった桂家の出身で、大江広元や桂元澄などの子孫に当たる。通称は「太郎」、諱は清澄(きよずみ)。元老第二世代。長州閥で山縣有朋の直系。

2 件のコメント:

  1. しげやん^^こんにちは~
    atitiも以前に新田長次郎さんの事を
    UPした事がありますが、中をUPしてくれるのはうれしいです
    昔の人は偉いですね^^事業に成功して寄付したり
    学校まで作ったりと凄い人ですね!

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  2. しげやん07102010年4月19日 17:42

    RE: atitiさん
    明治時代に立身出世を遂げた人は、ただガムシャラに金儲け
    するのではなく、社会貢献を果たしてます。
    事業をやりつつ天下国家が頭にあったのだと思います。
    それに人間のスケールも大きい。
    いまの時代の政治家・事業家とか段違いです。
    明日も続きます。次は司馬遼太郎「坂の上の雲」に描かれて
    いる秋山兄弟の兄の好古との関係です。二人は相照す無二の
    親友です。好古はここ温山荘にも数回に亘って来ています。

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